
©️Takahiro Furuyama
トリが ふねで 息を
現代音楽の作曲家、オリヴィエ・メシアン(1908-1992 仏)の楽曲をそれぞれの方法で身体に落とし込むことを試みた作品。
ピアノでの生演奏と共に、楽譜に描かれた景色と気配を追うことで構成された時間。
1公演わずか10名限定で上演された、2020年をもって閉じた四谷の喫茶茶会記に捧ぐ催し。
2020年 初演
綜合藝術茶房喫茶茶会記
55分
出演:古茂田 梨乃・福嶋 碧菜・横山 八枝子
照明:市松
振付・演出・映像:横山 八枝子
写真:古山 嵩丈
企画・制作:やえこカンパニー
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ピアノの音は、弾く身体があって、その身体を介して、ハンマーが弦を撫でることで、ポンと響きが生まれます。
しかし音楽は、演奏家だけで鳴らすことはできません。
楽譜というある心に共鳴し、弾く空間に影響され、
一つ一つのからだや、せかいの音とともに瞬間を紡いでいきます。
音がポンと生まれたと同時に、音はすでにからだやピアノからはなれ、ひとりで呼吸をし、からだとからだのあいだにいます。
今回はオリヴィエ・メシアンの音楽を、踊るからだのリズムや呼吸との、また喫茶茶会記という場所との アンサンブル で、
無限の空間に向かって奏でてみたいと思います。
メシアンへの敬慕を表すとともに、彼も予期しなかったであろう楽譜のもっと先で
みなさまと合流できたら何よりも嬉しいです。
福嶋 碧菜
______彼が生きた時代や彼のベースにある宗教や教育が作曲に繋がっているとしても、その音楽には今も変わらない不確かな確かさがある気がしています。
"今も変わらない"とは何か、普遍的であるとは何か、安易に言えるはずのないことに疑念を持って、それ自体を信じていられたらどんなにいいのだろう。
横山 八枝子
目蓋を閉じて、耳をすませて。
曲の、音の、エネルギーが耳を通って身体の中に入っていく。音が当たる皮膚も滑らかだったりピリピリしたり。
目を開けると音と共にある身体があって。
その身体は、音を奏でるのか、音を拾うのか、音を追いかけるのか。
この茶会記で、踊る身体、演奏する身体、ピアノの音があることで生じる空間がどのようなものであるのか。
古茂田 梨乃
(Facebookイベントページへ掲載した「トリが ふねで 息を に寄せて」より抜粋)

